2020_02_11(火) 08:45

意外と知らない!? 放射線治療②【がん患者と娘、家族の歩み】

記事投稿: ラッキークローバー

2020_02_11(火) 08:45

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記事投稿: ラッキークローバー

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2019年11月、父がすい臓がんのため、70歳で亡くなりました。

告知を受けてから1年と少しの闘病生活でしたが、父はもちろん、そばで支える家族にとっても苦しく、また様々な思いを経験した1年でした。

その中で、たくさんの治療法やその副作用、また費用や入院期間など、これまでドラマの中でしか知らなかったことや、勘違いしていたことが多くあったことに気が付きました。

それらを、テーマに沿って、実体験を基に、分かりやすく皆さんにお伝え出来ればいいなあと思い、書くことを決めました。

ただ、これはあくまでも父の場合です。

がんの種類や進行度合い、年齢など、個人差によるものも大きいですし、医療機関によっては取り扱っていないものもありますことをご理解ください。

★目次★

放射線科医との面談とマーキング

前回から始まった放射線治療についてのお話ですが、今回はさらに詳しく、具体的に書いてみました。

父が受けた放射線治療の入院中の様子や、長期に渡り苦しんだ副作用など、どなたかの参考になればいいなと思います。

前回の記事はこちら

まず、放射線治療を始める前に受けたのは、放射線科の担当医との面談です。

入院期間や放射線治療を受ける回数の確認、放射線治療の目的や副作用など、事前にしっかりと話を聞くことから始まりました。

父の場合は、合計28回、放射線をあてることになりました。

この回数は人によって違うようで、参考までに、知人(同じ病院に通院していた乳がん患者)は30回でした。

がんの種類や体重によって、放射線をあてる回数を決めるのだそうです。

父は28回目が終わるまで、ずっと入院して治療を受けましたが、通院での治療も可能です。

最初の1週間ぐらいは入院して様子を見て、問題がなければ、あとの回数分は通院となることが多いようです。

個人差もありますし、入院や通院となった場合の家庭の事情もあるので、そこはしっかりと相談して、本人にも家族にも、1番負担が少ない方法をとることが大切だと思います。

また、不安に思っていることや質問などは、この面談の時間を使って、できるだけ解消しておくことが重要です。

なぜなら、普段、病室に来てくれるのは、循環器科の担当医であって、放射線科医ではないから!

もちろん、担当医に尋ねてもいいのですが、放射線のことを聞くのであれば、やはり専門医には勝てません。

治療を始める前に、しっかりとその内容を理解し、副作用などについても納得した上で、長きに渡る治療に向かうことが大事だと思います。

父は同じ日に、放射線を当てる場所に、マジックで印をつけてもらいました。

これは、「マーキング」といって、毎日同じ場所に放射線を照射するために、とても大切な指標となります。

初めて、マジックで印のついた父の体を見たときは、正直びっくりしました!

縦と横にラインが引いてあり、照射位置には○がつけられていました。

「派手なお腹になったねえ~!」

と、母と笑いましたが、いよいよ放射線治療が始まるんだと思うと、

「今回こそは、何かしらの効果があってほしい。なんとか良い方向へいってほしい。」

という気持ちで、胸が張り裂けそうでした。

治療を始めるタイミング

4月9日に入院した父。

その日のうちに、採血、レントゲン、心電図と、早速いろいろな検査を受けました。

翌日の10日には、先述した放射線科医との面談があり、マーキングも済んで、放射線治療を受ける準備が整いました!

ところが・・・、結果的に治療がスタートしたのは、15日でした。

10日に準備が整ったため、11日からスタートできると思い込んでいた私たち。

・・・でしたが、週末は治療がないため、11日(木)にスタートしてしまうと、11日(木)、12(金)と2日しか放射線をあてられず、その後、土日と2日間空いてしまうのです。

それよりも、15日(月)スタートにして、15日(月)~19日(金)まできっちり毎日5日間、放射線をあてる方がいいということでした。

この辺りの判断は、素人には絶対にできないですよね。

単純に、早ければ早いほどいいと思っていた私たちでしたが、1番効果のあるようにと考えてくださる先生方には、感謝しかありません。

ということで、9日に入院したものの、治療が始まる15日まで暇になってしまった父(苦笑)

この頃は、まだ体調が安定している日もあったので、余計に暇を感じて仕方がなかったでしょうね。

そんな父のために、母は自宅から1時間かかる病院まで、毎日通っていました。

車の運転免許を持っていないので、最寄駅まで歩き、50分ほど汽車に揺られ、おりた駅から病院までまた歩き・・・、毎日大変だったと思います。

14日の日曜日には、夫や娘と一緒に、父の病院へ激励に行きました!

娘たちが心を込めて、おじいちゃんのために作ってプレゼントしたものがコチラ↓

お守りは次女が、お守りを入れるケースは長女が作りました!

きっと、大丈夫!!

入院中の父の様子

ではここで、放射線治療での入院中、どんな生活をしていたのか、父の場合をご紹介したいと思います。

月曜から金曜まで、平日5日間連続して放射線をあて、土日はお休み。

放射線をあてる時間は、1回約2分!

え、2分?!?!

これにはとても驚きました・・・!

たったそれだけの時間しかあてないのかと・・・。

逆に言うと、長時間あてることができない、それだけ体への影響が大きいということなんだと思います。(※30分~40分くらいあてる放射線治療もあります。)

実際、病室を出てから帰ってくるまでは、15分~20分くらい。

1日の放射線治療は、これで終わりです。

父は、抗がん剤治療を併用していたので、週に1回、1時間ほどの抗がん剤治療を病室で受けていました。

ですが、その前に通院で、約5時間も抗がん剤治療を受けて、お持ち帰りまでしていたので・・・、入院して受ける1時間の抗がん剤治療など、たやすいもの!

しかし、毎回抗がん剤治療を受けられたわけではありません。

採血の結果、白血球の数値が基準値に足らず、1度だけ見送ったことがありました。

抗がん剤の副作用で、一時的に白血球の数値が下がるのは仕方がありませんが、以前に比べると少ししか抗がん剤を打っていないのに、1週間かけても数値が回復しなかったことは、父も正直ショックを受けていたと思います。

ですが、通院の頃から何度も見送ることがあったので、

「無理をして抗がん剤は打たなくてもいい!」

「今は放射線治療のために入院しているんだから、抗がん剤はおまけのようなもの!」

というふうに捉え、あまり気にしすぎないように考えていました。

こうして振り返ってみると、この入院中は時間の余裕がたっぷりとあり、また放射線治療自体は痛みもないので、比較的穏やかな時間だったように感じましたが、その分、父は1人でいろいろなことを考え、思いつめていたようです。

後になって母から、父が

「病室の窓から飛び降りてしまう人の気持ちが分かった。」

と言っていたことを聞き、それを思い出すだけで、胸がいっぱいになり涙が溢れてきます。



悩まされた副作用

放射線治療について書くにあたり、絶対に、避けて通るわけにはいかないことがひとつあります。

それは、「味覚障害」に苦しんだこと。

28回に渡る放射線治療を終えてからも、長い間、悩まされ続けました。

ただ、これは、あくまでも父の場合です。

放射線治療の副作用として「味覚障害」はありますが、抗がん剤治療を併用していたため、どちらの副作用として出たのかもはっきりしませんし、もちろん副作用の出方も千差万別ですので、父の場合はこうだったという認識の下、読んでいただけたらと思います。

放射線治療を始めて1週間くらい経った頃から、父が食事中に

「味がおかしい。」

と言うようになりました。

それはだんだんひどくなり、何を食べても

「渋い。」

「苦い。」

と言って、口に入れたものを吐き出すようになってしまいました。

父が食べられなくなったものはたくさんあるのですが、1番困ったのは、お米。

味もそうなのですが、食感がダメになってしまい、普通にご飯をよそった状態では食べられなくなってしまいました。

少しの期間であれば、また、他のものをたくさん食べられるのであれば、少々お米を食べなくても、他のもので栄養を補えばいいと思うことができます。

ですが、この頃の父は、食べられないものがどんどん増え続けていました。

昨日食べられたものが、今日はもう食べられないという状態で、精神的にも本当に不安で怖かったと思います。

栄養士さんとも相談し、入院中の食事は、ご飯をおそうめんに変えてもらいました。

また、普通にご飯をよそうと食べられませんが、ぎゅっとかたくおにぎりにすると少し食べられたことがあったので、おにぎりにしてみたり。

おかゆにして、塩で味をごまかして食べたりもしました。

大好きだった魚類が一切食べられなくなったのは、見ていて本当にかわいそうでした。

美味しそうに見えるのに、いざ一口食べてみると、渋くて苦くて吐き出してしまう父。

また、調味料も、醤油がダメになってしまい、醤油を使った料理全般が受け付けなくなってしまいました。

どんどん食べられるものが減っていく恐怖・・・。

どんな思いでその現実と向き合っていたのだろうと、想像するだけで、辛くてたまらない気持ちになります。

放射線治療が終わってからも、この味覚障害は続きました。

パンは食べられたので、無理してお米を食べることに固執せず、食べたいと思うパンだけ食べていました。(パンでも、食べられるものと食べられないものがありました。)

食事は、人間が生きていく上でとても大切なことであるのは言うまでもありませんが、栄養を摂取するという目的だけなら、サプリメントや点滴だけで事足ります。

父の味覚障害を通して、食物を食べるという行為そのものに大きな意味があり、それによって「美味しい。」と感じることが本当に重要なんだと思い知りました。

次回も、放射線治療中の出来事についてお話します。

<前回の記事はこちら>

意外と知らない!? 放射線治療①

オハナスタイル公式ライター : ラッキークローバー

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