2019_08_07(水) 14:53

8月。「平和」を考える。その種はあなたの手の中に

記事投稿: オハナスタイル編集部

2019_08_07(水) 14:53

239

記事投稿: オハナスタイル編集部

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中学3年生の時、私は修学旅行で長崎に行きました。

風情のある街並みには、絵になる坂道、路面電車、そして教会。

修学旅行に浮かれて気もそぞろな中学生には、その町が「かつて原爆を落とされた」なんて想像もできないほど、街並みは美しく見えました。

しかし、修学旅行中に教えていただいた被爆された方からのお話や、資料館で目にしたものから、どれだけの痛みが、その街を、そこに暮らす人を襲ったのか学んだのでした。

★目次★

夏空の下で

太平洋戦争末期の1945年夏。

日本には2度、核爆弾が落とされました。

広島と、長崎。

私は出身が中国地方なので、広島に関しては「平和学習」でたくさんの学びを得る機会がありました。

しかし、同じように核爆弾の被害を受けていた長崎については、修学旅行の事前学習などで知るまで、詳細を学んだことはありませんでした。

長崎に原爆が落とされたのは1945年の8月9日

今と同じように暑い暑い夏の日。戦時下とは言え、今と変わらぬ1秒1秒を刻みながら日々を営む人々の上空に、2度目の核爆弾は投下されました。

広島に原子爆弾が投下されたのは8月6日の8時台。ちょうど朝ごはんだったり、通勤・通学の時間だったりしたそうです。

一方、長崎に原子爆弾が投下されたのは8月9日の11時台。きっとお昼ごはんの用意をしたり、ちょうどお昼ご飯を家族と食べていた人もいるのではないでしょうか。

戦時中という、今とは全く異なる時代背景があるとはいえ、そこには必ず、今と変わらぬ「家族の笑顔」があったはずです。

ちょっとした会話に笑顔がこぼれ、ちょっとした時間にお互いの尊さを感じていた日々が、きっと流れていたはずです。

そうした「ささいな幸せ」は、たった1つの悲劇的な兵器によって、街ごと、思い出ごと、失われてしまいました。

あれから74年

広島にとっても、長崎にとっても、原爆投下という「あの日」から74年の歳月が流れました

私は、中学生の頃に、被爆された方からお話を聞く機会がありましたが、被爆者の高齢化という問題もあり、現在では直接お話を聞ける機会も失われつつあります。

戦争への見解については、ここで述べることはできないほど、それぞれに多くの考えがあると思います。

ただ、それでも1つだけ、人間として共通していたいのは「命が失われることを喜ぶことはできない」という気持ちではないでしょうか。

広島も長崎も、今では本当に美しい街として復興しており、たくさんの人が、家族が、笑い合って暮らしています。

こうした幸せな時間は、とても大きな痛みの上に成り立っていることを、人として決して忘れることはできません。



平和は自分の手の中から

幸せの基準、何が幸せか、というのは、1人ひとり、家族ごとでも異なると思います。

日本という国に暮らしていると、8月は「原爆投下」や「終戦記念日」を軸に「平和」について考えることが多くなります。

しかし漠然と「平和」と言われても、個人個人は一体どうすれば良いのか……はたと考え込んでしまうかもしれません。

でも私たち1人ひとり、誰しもが「平和」を作る力をきっと持ち合わせていると私は思います。

例えば

隣りにいる誰かに、いつもよりちょっと、思いやりをもつこと。

いつもより大きく「おはよう」を言うこと。

遅く帰宅した家族に「なんで!?」じゃなく、「お疲れ様」と言ってみること。

そうした「ちょっとした平和」を作る小さな芽は、人同士を、家族関係を明るくし、これが広がれば、いつか大きな花を咲かせられると思うのです。

そしてその種を握るのは、誰でもない、私たち自身、なのです。

8月。大きな「平和」を作るそのきっかけとして、小さな平和の実践が1つずつ積み重ねられますように。

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