2016_09_21(水) 00:17

障害を抱える孫を支えてくれる母へ<大阪府在住 30代女性>

記事投稿: オハナスタイル編集部

2016_09_21(水) 00:17

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記事投稿: オハナスタイル編集部

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我々(BOLSTER株式会社)は、皆さんへ親孝行のきっかけと、親孝行を手軽に行うための仕組みを提供しています。今回は、大阪府在住 30代女性から、「障害を抱える孫を支えてくれる母へ」が届きましたので是非ご覧ください。

両親に反抗ばかりしてた日々。

小さい頃から風邪をひいている姿を見たことがないほど、いつも元気だった母。3人兄弟の長女として、いつも父に厳しく怒られていた私は幼い頃から反抗心をおぼえ、家を飛び出したり、遅い時間まで帰宅しなかったりしていました。泣きながら飛び出す私を、追いかけてきてくれた母に対して「うざい。」と言ってしまったこと。帰ってこない私に電話をしてくれるものの、無視し続けていたこと。母には「何を言っても平気」という思いこみがあり、すっかり甘えていました。母は元気で家にいてくれるのが当たり前と、そんな風に思っていました。



 

一人暮らしで気が付いた感謝の気持ち。

大学入学と共に田舎を離れて東京に出た私は、初めて一人暮らしをすることになりました。私の上京を、父は最後まで反対していましたが、「私だって東京で暮らしたくて若いときに東京に就職したから。」と母は応援してくれました。一人暮らしや新しい環境へのワクワクとうるさい両親から離れられるという開放感で楽しみにしていたのですが、実際に、日々が始まるとわけが違いました。

今までは「家に帰ったら母がいて、温かくおいしいご飯があって。」が当然だった自分にとって、一人の生活は楽しいどころか、寂しくてたまらない毎日でした。あんなにうるさいと思っていた両親だったのに、いざ離れてみて自分がどれだけ頼っていたのかを実感して、心の底から「ごめんなさい。」と思いました。そんな中でも食料を宅急便でたくさん送ってくれる母の存在が嬉しかったです。

 

帰る場所があることの有り難さ。

卒業後そのまま東京で就職したものの、毎日の残業に体調を崩し、その時付き合っていた彼にもふられてしまったショックで泣きくずれる私に、母は「帰ってきなさい。お父さんも待っているよ。」と言ってくれました。反対を押し切って出てきただけに意地を張っていた私ですが、情けないことに結局は両親がいなければ何もできない人間でした。自分への自身も失い、それでも帰える場所があるということの有り難さを感じました。

私が実家に戻り数か月した頃、母が「なんだか胸のしこりが大きくなっている気がするのよね。」と言いました。「え!まさか乳がんじゃないの?!」と私が驚くと、「かかりつけの先生にはずっと見てもらっているんだけどね~。」とのこと。なんでも1年ほど前から胸にしこりがあり、医師に相談していたのですが、「そんなに気にする必要がない。」と言われているとのことでした。「次の健診が来月にあるから、またその時にでも相談してみるわ。」とのことだったので、「乳がんなんてやめてよね~。」と軽く受け流していました。

母は風邪をひかない、入院も出産の時だけという健康そのもののときだったので、まさか日本当に乳がんだとは家族のだれもが夢にも思わなかったのです。

 

突然の母の乳がんと苦しくつらい抗がん剤。

やはり乳がんを発症していた母はすぐに手術を受けることになりました。乳がんの精密検査をしたところ、脇のリンパ節に転移も見つかり、かなり進行していることが発覚しました。

私を始め、母自身もただただ呆然としてしまいました。何よりも動揺がひどかったのは父で、手術の説明を聞いていたところ気分が悪くなり、横にならせてもらうほど弱っていました。「母を失うかもしれない」という感じたことのない不安に、父も私も震えていました。無事に手術は終わりホッとしましたが、その後の放射線治療、化学療法が始まり、ここからが本当のつらい治療の始まりでした。

特に抗がん剤は気分の悪さから食事をとれなくなり、ずっとベッドに寝たきりでした。3期間にわけて投薬するので、2回目からは自宅から通いでの治療になりましたが、次第に髪の毛が抜け落ちていくごとに、洗面台からすすり泣く声が聞こえたり、トイレから大きい叫び声がきこえたりと母の心がボロボロになっていくのがわかりました。「死んでもいいから、もう最後の3回目の抗がん剤はやめたい。」と絞り出すように言う母に、「頑張って。」と安易に言うことはできず、ただそばにいるしかできない自分が苦しかったです。

 

両親に孫の顔を見せてあげたい。

必死に病気と闘っている母を見ていて、早く両親を安心させてあげたい。結婚して、孫の顔を見せてあげれば、きっと生きる希望も元気もわいてくるのではないかと、思うようになりました。乳がんがわかった時から、病気と向き合うのがつらい父に代わって、医者の説明を一緒に聞いてくれていた職場の人と結婚することになりました。

結婚式は母が元気になってからすることにして、入籍だけでしたが、両親はそれだけでも喜んでくれました。

 

生まれてきた子は…

抗がん剤を乗り越えた母は少しずつ回復してきました。髪の毛も生えてくるころには、自分で台所にたって料理をするようにもなりました。そんな頃に、待ちに待っていた妊娠が発覚しました。母は「おめでとう!」と久しぶりに笑ってくれ、父も早速ベビー用品をネットで調べたり、嬉しそうでした。「ようやく恩返しができるかな。」と私も生まれてくるわが子を心待ちにしていました。

臨月を迎えたころ、病院の医師から「赤ちゃんの体重がなかなか増えていないので、なるべく安静にしてください。」と言われました。ずっと順調だっただけに不安になりましたが、予定日までもう間もなかったので、ひたすら横になってその日を待っていました。

生まれてきた子は元気な声を聞かせてくれたものの、体が小さく、呼吸も不安定なため、別の病院のNICUに入ることになりました。当たり前に生まれてきてくれると思っていた子供は重度の障害がありました。

 

それでも愛しく可愛い子。

私はわが子の障害をなかなか受け入れることができませんでした。「どうして、うちの子が。」とずっと泣いていました。ですが、母は病院にお見舞いに来てくれた母は「この目は誰にも負けない強い子になるに違いない!なんて可愛いの!」といつも言ってくれました。またしても、母の言葉に助けられているのです。それでも毎日生きていかなければならない私たち家族の中で、毎月必ず子供に向けて母が出してくれる手紙が大きな救いです。うちの子は言葉を話すことはできませんが、字を読むことができるので母からの手紙にジャンプして喜んでいます。

両親の孫への変わらぬ愛に、私への変わらぬ愛に心から感謝しています。

 

<大阪府在住 30代女性 ペンネーム:かおりん>

 

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