2018_09_19(水) 09:10

ママになりたい…子宮内膜症になって見えたもの

記事投稿: みぃ

2018_09_19(水) 09:10

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記事投稿: みぃ

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小さい頃、大きくなったら結婚して子供を産んでお母さんになるんだぁ・・・・。

子供を授かる苦労も知らず、妊娠や出産は女性として産まれてきたら当たり前に経験できる人生だと思っていました。

そんな私が30歳でママになるまでのお話から書かせていただこうと思います。それが今の我が家のはじまりだったりするので。

「ママになりたい」この気持ちが、この記事全体に流れている大きなテーマとなっています。

子宮内膜症の発症

私には25歳の頃、子宮内膜症と診断され治療してきた過去があります。

腹痛と腰痛、痛くて歩行も大変でした。

まだ若かったので、まさか自分の病気が子宮にあるとは思ってもいませんでした。

卵巣が約4cm、臓器への癒着もひどく、ステージ4。

自然妊娠の可能性は30%程、妊娠を望むなら科学的な方法も考えてくださいとまで言われました。結婚も出産も当時の私には夢のような話。

いつ完治するかも分からない病気と毎日向き合う生活・・・。

結婚の予定もないので、手術はギリギリまでしないという治療方法で、薬(定量ピル)で生理でおこす出血をおさえて様子を見てました。

出口の無い暗いトンネルの中を一人で歩いているような孤独と不安・・・。

実は、うちの母も子宮の病気で40代で子宮を全摘出をしています。母も病気は違うけど同じ子宮に病気を持つ者としての経験者でした。

母方の家系は子宮に持病を持っている人が多かったので、私の病気の原因は遺伝の可能性もあったのです・・・。

母は病気になった私に対して何も言ってはくれませんでした。そして特別扱いもしませんでした。

もし私が母の立場であっても母と同じように病気については触れないようにしていたと思います。

一つでも相手に対してキズつける様な態度や言葉を口にしない為にあえて触れないようにしていたのだと思います。

母親だから分かる悲しさ、落胆。

母として見れば結婚前の娘、見守るだけしかできないのですから・・・。

私が将来、子供が欲しいと望むように、母も当然私の結婚やその先の孫の誕生を楽しみにしていたはずです。

あの頃、どんな気持ちで見守っていてくれたのかと思うと切なくなります。

治療は3年程続きました。

治療中は薬を服用すると体調の波もあり精神的に落ち込む事もあります。

誰かと一緒に居ても孤独を感じる日々。

妊婦さんが幸せそうに通う病院に治療で通うことも、薬を飲むことも続けることも苦痛でしかありませんでした。

それでもなんとか、治療を続けてこれたのは、

「いつかママ(親)になりたい」「赤ちゃんを産みたい」と強く願って諦めなかった気持ちがあったからかなと思います。




治療の為に自宅静養

仕事も辞め、アパート暮らしも辞めて実家に戻り、ゆっくりした生活をはじめました。

100歳まである人生なら、ちょっとくらい休んでゆっくり病気と向き合うのもいいかなって。

母もアパートで離れて暮らすより、近くに居てくれたほうがいいと思っていたそうです。

病気になってから、母から聞けた唯一の本当の気持ちだったような気がします。

ゆっくりと時間が流れていくと、自分のペースで動けて心に余裕ができて体調も安定するのですね?

子宮内膜症の状態にも変化がありました。

休みをとって2ヶ月後くらいには、奇跡的に卵巣の腫れが2cm、吐き気やだるさも落ち着いて、治療しなくてもいい状態にまで回復していました。

先生もビックリ!

念入りにエコーを見ていました。

きちんと治療を続けてきたからこその経過だと嬉しい言葉もいただきました。

しばらく霧がかかっていた私の人生。

視界がクリアになった瞬間でもありました。

前向きになり、何かが大きく一歩踏み出した未来。

それがきっかけで、運気の流れが一気に変わっていきます。

オハナスタイル公式ライター : みぃ

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