2018_06_09(土) 16:00

【親孝行体験談】おじちゃんと交わした男の約束

記事投稿: オハナスタイル編集部

2018_06_09(土) 16:00

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記事投稿: オハナスタイル編集部

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私が生まれてすぐに両親が離婚をしてから、母親だけの片親でした。
もちろん、私にとって母は偉大な存在であり一番尊敬する存在です。

しかし、今日は私のもう一人の育ての親について話したいと思います。

最初に述べた通り、私の両親は私が生まれてすぐに離婚をしたので父親の存在は記憶にありません。
母、4つ上の兄、私。3人だけでの生活でした。

母は、私達兄弟を育てるために朝から晩まで働いていたのでほとんど家にいることはありませんでした。

その代わりと言ってはなんですが、私が小学校に入るまでは、いつも同じマンションに住んでいた老夫婦の家に預けられていました。
その老夫婦は、子供が県外にいるため二人だけで住んでいました。
1週間のうち、3~4日は老夫婦の家に預けられて、幼稚園の送り迎えをしてもらい、一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入っておりました。

いつも優しく面白いおばちゃん。おばちゃんとは逆でとても厳しくて真面目なおじちゃん。
だけど、だれよりも私のことを考えてくれていたおじちゃん。

私が大きくなって、高校生になってからも自転車通学の私の為に、雨の日にはわざわざ車で学校まで送ってくれていました。
梅雨の時期は10日連続なんてことも。

私の母が「体も大変だから、車での送り迎えは大丈夫ですよ。いつも息子がすみません。」
と言っても、いつもおじちゃんは
「男と男の約束だから。高校を卒業するまでは雨の日は車で学校まで送るよ。」の一点張り。

結局、私が卒業するまで雨の日の送迎をしてくれました。
そして、私の卒業と同時におじちゃん・おばちゃんは今まで住んでいた所から車で2時間ほどかかる二人の故郷に引っ越しました。

それから私が大学生、社会人になってからも年に数回は二人の田舎に会いに行き、ご飯を食べたりしていました。

そんなある日(ちょうど1年ほど前)、おばちゃんから電話で「おじちゃんが救急車で運ばれた。」と聞かされました。
一命は取り留めましたが、長くてももって半年くらい、喋ることが出来ず意識も朦朧とした状態とのこと。

それから、今度は私がおじちゃんとの約束を守る番だと思い、毎日仕事が終わってから車で2時間かけて病院に行きお見舞いをして、深夜に帰る生活を続けました。



話しかけても意識はなく、喋ることもできません。
そんな生活が続いてから約4か月後、おじちゃんは亡くなりました。
しかし、最後、亡くなる1週間前におじちゃんが私の手を強く握って、涙を流したことがありました。

最後の最後に恩返しが出来たのかなと、自分の気持ちを整理することが出来ました。
血が繋がっていなくても、ここまでお互い信頼し、本当の親子のように時間を過ごすことができ、私は幸せでした。

<投稿者:koさん>

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